朝倉の占部氏(2)
2014.09.19

朝倉に行ってきました。行きたい行きたいと思いながら中々機会がありませんでしたが、お世話になった方が亡くなられたとの知らせを受けて、お墓参りのついでに周辺を探索して来ました。

まずは朝倉市の図書館へ。

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図書館の前に甘木歴史資料館がありましたので、入ってみました。

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どこも、官兵衛で盛り上がっています。ここも、「官兵衛を救った男たち」というタイトルで、「黒田一成と加藤家展」という特別企画をしていました。

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一成は朝倉市の三奈木地区を中心とした下座郡に領地を有しました。黒田を名乗っていますが、元は加藤姓でした。官兵衛 が荒木村重によって有岡城に幽閉されたとき、官兵衛の面倒をみた牢番がいましたが、その子供を官兵衛は我が子同様に育て、後に黒田姓を与えて黒田一成と名乗らせたのです。

大河ドラマでは牢番は有岡城で討ち死にしたようにあっさりと消えてしまいましたが、ここでいただいたパンフレットによれば、この牢番、加藤重徳という人物は官兵衛に次男を預け、長男と共に備中の宇喜多家を頼り、後に、肥後半国の領主小西行長に招かれ、関が原の合戦にも参戦しています。小西行長は石田三成に味方していたため、戦に敗れて処刑され、親子は浪人の身となります。結局、黒田家に預けた次男一成によって、親子は黒田家に迎えられたということです。


大河ドラマには盛り込めなかった話がたくさんあるのでしょうね。しかし、大河のおかげで地元が宣伝に力を入れてくれるので、ずいぶん勉強になるのはありがたいことです。


次に、図書館に行きましたが、ここで貴重なお宝を入手しました。『郷土高木の史蹟と伝説』という本です。これは、林正夫さんという方が書かれた本で、おそらく自費出版されたものではないかと思います。この本の中に「占部氏の家系譜について」という題で、大城の占部氏のことを書いた記述がありました。

この本を巡って後で色々不思議な出会いとなるのですが、それは又今度。


とりあえず、千葉弥兵衛を名乗った占部秀安が頼ったという比良松村の古賀家を探しに行った話に移ります。

比良松村に入ってほとんどあてずっぽうに訪ねた家が、まさに大庄屋格古賀家本家だったようです。家の裏には古賀家の墓群が...

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これほど大きな自然石の墓が林立して残っている場所はそうないと思います。圧巻としか言えません。今でも古賀同族会が2年に一度法要に集まっているそうです。千葉弥兵衛が古賀家の養子として入ったということは、もしかして跡継ぎが女子しかいなかったのではないか。それなのに子供の代で占部に復姓して大城に行ってしまったら、古賀家はどうなったのだろうと気にかかっていましたが、立派な子孫たちが今日まで続いていると聞きなんだか安心しました。

さて、先ほどの本のコピーを手に、著者林正夫さんに会ってみたいという思いに駆られて、一路高木地区へ向かいます。高木地区とは朝倉市黒川・佐田を合わせた地域で、大城は佐田の中の字名です。高木公民館の館長だったという話から周辺の地元民に聞いてみたのですが、どうやらだいぶ前に亡くなられたようで、知っているという人に会えませんでした。ここまで来たら大城にも行きたいところですが、看板を見ながら、やっぱり時間がない…さすがに大城は遠いです。


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今回は大城行きはあきらめて、痲氏良山の近くの円清寺に向かいます。寺の背後の山に痲氏良城がありました。


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円清寺は黒田24騎の栗山利安が黒田如水(官兵衛)の追悼のために立てた寺だそうですが、ここもまた官兵衛ゆかりの地として方々に案内版が...。

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お宝の掛け軸も本堂の栗山家御霊舎(みたまや) の前に並べてありました。

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寺の左手奥には栗山利安のお墓もありました。
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栗山利安の戒名は『一葉斎ト庵紹占居士』、卜・占の2文字が...。不思議な戒名です。占部のことばかり考えているので過剰反応でしょうか。


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